東京土建品川支部

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平和特集 語り継ぐ戦争体験

いじめの結末

-制裁に悔し涙で耐えた戦友-命あったら陛下を訪ねようと慰めた-

中延分会 菅野正二郎

 

 昭和19年暮れ頃の話題です。「ビシ、バシ、ドス」、O君の身体が右に左に揺れ、ついには倒れる音が。制裁のすごさが静まりかえりますジャングルに響きわたります。

 梢いの鳥達が怪訝な顔付きでその光景を見ております。そばにいても口出しも出来ず止めることも出来ません。上官の行動は即陛下の命令だ。これに盾突く者は上司達の袋たたきにあうか通常営倉にぶちこまれます。

 

なぜ俺ばかりと問う戦友

 

 そのO君を抱き起し抱えるようにして宿舎に連れていき口や顔を冷たいタオルで冷やしてあげました。途中、「菅野なぜ俺ばかりがこんな目に合うのか。陛下とは平気で下の者をいじめるのか」と問われました。「うん、命があったら東京に行って訪ねてみよう。駅から西へまっすぐ行って池とか森とかがあり、その中の立派なお屋敷に住んでいるとか、必ず聞いてみるから」と慰めました。

 O君は小さい時から叔父さんと一緒にアマゾン奥地に開拓に行き現地語はもちろん、風格も日本人離れしており、子供もおりました。

 トラクターを運転していたせいかトラックはもちろん、戦車も簡単に操縦します。それが気に入らないのか、彼ばかりが制裁を加えられ今で言ういじめです。

 S軍曹の仕打ちです。

 「なんだ、その態度は。気合を入れてやる、俺だと思うなよ。天皇陛下の気合いだぞ」と殴りました。O君はその都度、悔し涙に歯ぎしりをして耐えました。

 

戦友会で再会するも

 

 昭和28年6月、復員7年を記念して有志達の発案で最初の戦友会を福島の飯坂温泉で開催いたしました。O君の地元です。彼の後押しがあったことは十分でした。

 ちなみに彼は土木事業に従事しており、若いのに当時、20人もの荒くれ男を使っておりました。タバコも酒もやらないのに、当時の件の建設省にコネを入れ磐梯吾妻スカイラインの土木工事を一手に引き受ける実業家になっておりました。

 見ると参加しなければ良いのにとはこちらの考え。のこのこと元S軍曹が見えるではありませんか。一介のサラリーマンでした。

 目と目が合い、O君は黙って見つめておりました。居たたまれないのは元軍曹、「O君悪かった、許してくれ、水に流して下さい」と床にひれ伏せて許しを願いました。

 同情する仲間もなく元軍曹は飲食にも参加せず上野行きの終列車で逃げるように東京に帰りました。この後、毎年開いた戦友会には2度と来ませんでした。

 

いじめに負けてはいけない

 

 この事実、若い青少年の皆さん、決していじめや制裁に負けてはいけませんよ。必ず彼らには反省する時がきます。

 それよりも死を選べば、嘆き悲しむのはあなた達を産んで下さった父や母なのですよ。

 

壮烈、体当たり!

-激しさ増す空襲の下-散りゆく命に一人佇む-

中延分会 関島 幸吉

 

 はっきりした年月は記憶から薄れたが、連戦連勝の報せに酔っていた国中が冷水を浴びせられたミッドウェー海戦の敗北から、戦争の成り行きに不安を覚えてきたころである。

 夜間の空襲が次第に多くなり、被害も全国に増してきた昭和18年の春ごろかと思うが、戦局の進展とともに昼間の空襲も激しくなってきた。

 

空襲警報中 屋上で見張り

 

 高校を卒業したばかりの自分も大崎の軍事工場「園池製作所、企画課」に勤めていた、昼ごろの事「東部軍管区情報、空襲警報発令」の放送が流れ、方々の会社からサイレンが鳴り響き緊張が走った。

 その中で「お前は若いから防空要員として屋上で敵機を見張っていろ」と命じ上司たちは皆、防空壕に入ってしまった。

 なんで自分が、と思ったがやむを得ず屋上で見張っていると、間もなくB29爆撃機の十数機ずつの大編隊がこちらへ向かってきた。軸線(じくせん)がずれているのでたとえ爆弾を落とされても自分の方は大丈夫だろうと、さらに目を凝らして見ていると、小さな、まことに小さな日本の戦闘機があれよと言う間に突っ込んでいった。

 

戦闘機が体当たり 米機は品川の海へ

 

 「あっ体当たりだ」慄然とした目にぽつんと当たったかと見るとくるくると機は錐揉み状態で落ちていった。なお続けてみると、体当たりを受けたB293はやがて編隊から離脱し、次第に高度を下げ自分の方へ飛んできた。

 「これは大変」と見ていたが殆ど真上に来た時、いきなり爆発するように猛烈な炎が機体を包み、その巨体が自分の上でぐるっと1回転した。あまりにも大きな機体で自分の上に落ちてくると恐怖に襲われた。頭上で回転したその機体は炎に包まれながら品川の海に水柱を上げ墜落した。

 

快哉を叫ぶ人々 むなしさを感じた

 

 我に返った目で下を見て驚いた。強制疎開のため、殆ど誰もいないと思っていた地上に人々が蟻のように群がり出て、中には躍り上がって快哉(かいさい)を叫んでいる人もいた。屋上でただ一人見下ろしている自分はややあって何か虚しさを感じていた。

 体当たりをしたあの搭乗員もおそらくはまだ少年と言っていいほどの青年であろうか、また家族が無事を祈っている搭乗員ではないだろうか。

 異国の海に落ちていった米機にはおそらく十数人の米兵が乗っていたであろうに、彼らの家族は、と思う時、また地上で快哉を叫ぶ人たちも激しさを増す空襲の中でいつまで無事でいられることだろうか、あれを思いこれを偲ぶ時、言葉もなくやがて暮れなずむ夕日の屋上に上司への報告も忘れ1人佇む自分だった。

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