東京土建品川支部

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平和特集語り継ぐ戦争体験

日本国精鋭の戦車隊

燃料・弾薬・食糧が底をつく

~もう戦争どころではない~

一杯のコーヒーから

中延分会 菅野 正二郎

菅野さん

菅野さん

 

 赤道直下の南小スンダ列島の東のティモール島は、(九州と四国を合わせた位の島)7月中旬の頃は、雨が一粒も降らない乾季なのです。
 「菅野一緒に来い」との先輩戦友殿の声に、よれよれつぎはぎだらけの半ズボンにポロシャツではなく、ボロボロのシャツ、見るからにみすぼらしい姿の、これでも、日本国精鋭の機動部隊の戦車隊の一員です。しかし、車は燃料がなく動かない、我々も食べるものがなく、喰い盛りの若者の哀れな姿なのです。
 「ケイタイテントをふろしき代わりに、肩にトボトボと4粁(キロ)程の山道を歩き、「道路は通行できません保安上」と、ようやく小さな集落につきました。
 当時の戦局については、我々のような重要でもない一島は対岸の豪州(オーストラリア)軍に任せていて、気にもとめず、米軍は南方の海や空を制圧し、我々の物資や兵器・燃料を運ぶ船舶を見つけ次第攻撃して、海のもくず、あるいは魚のエサになっていました。
 ニューギニアやサイパン、硫黄島・沖縄を次々に占領し、日本全土を目指し侵攻していきました。迎え撃つ日本軍の悲惨さは、目を覆うばかりです。
 話はもどり、さっそく家の土間にあがりこんで、新品の革手さげカバンや白いシャツ・パンツ・うすい毛布などを、そこの住人に差し出して、食べ物と交換です。
 「ヘエー、どこから持ってきたのかな」と、どうせどこからか「カッパラッてきたのだろう」と思いました。
 要するに、物々交換をしていました。相手に人たちは、現地の人ではなく、中国系の移民でした。
 そこの奥さんは、豆みたいなものを炒って粉にし、熱湯を注ぎ、湯のみに入れて「どうぞ」と入れてくれました。
 ほろ苦い黒い飲み物を口にした時、「これはウマい、何と言う物ですか?」と小声で戦友殿に聞くと、宿屋育ちの彼が、「これはコーヒだよ」と教えてくれました。
 福島県郡山市駅前の裏通りの色町で、大工の小僧に行くまで育った私ですが、当時の「着物にエプロン姿」の女店員さんのカフェでは、紅茶はありましたが、この飲み物はありませんでした。この味は九十歳近い今でも、忘れられません。
 さて兵舎に戻り、トウモロコシやかぼちゃ、タロイモなど交換した食糧に、みんなで腹を膨らませたことは言うまでもありません。こんなことでは、戦争どころではありません。
 間もなく、終戦となりました。海岸で野宿をしながら、帰りの船を待つこと、翌年の六月に、日本へ帰ることができました。
 昭和二十七年に上京して、新築の大工工事をしておりました。仲良しの戦友と「銀座」の喫茶店でコーヒを飲みましたが、あの時の味とは程遠い物でした。あの時の味は今でも忘れられません。

 

B29の焼夷弾が…

小学生の追憶

~父母と平和に感謝~

二葉分会 吉田 ミサ子

吉田さん

吉田さん

 

 小学校1年生に入学したときは、太平洋戦争がはじまる昭和16年でした。父は20人程の職人を抱える、大工をしていましたが、2年生になると、仕事の関係で、福島県の永戸村から、好間町に移りました。
 古河炭鉱のある町で、そこの学校には、すごく大勢の小学生が集まり、1学年で6クラスあり、1~3組が男子、4~6組が女子でした。あまりにも多かったので、驚いたのを覚えています。小学校2年生の時、身体検査が何度かあり、1クラスから1名「健康優良児」に選ばれ、奉安殿(ほうあんでん)の前で写真を撮られたのを覚えています。
 だんだん戦争が激化し始めた昭和19年、4年生の頃、福島にも空襲警報がたびたび鳴り響きました。夜、枕元に防空頭巾と着替えを置いて、明かりが漏れないようにと、母が電球の笠のまわりに黒い布を覆っていたのを覚えています。
 またある時は、B29が飛来し、平の町に空襲がありました。様子を見に、父親に連れられて町が燃えているのと、B29が墜落していくのを目の当たりにしました。B29の空襲が一段落し、町へ行ってみると、焼夷弾の不発弾が家に刺さっているのを目撃しました。
 好間町も危ないと、昭和20年に、郡会議員の娘である母の実家の、永戸村に戻り、学校の授業では、田んぼへ行って、竹の筒に布の袋でくくり、入れ物を作ってイナゴ取りをしたり、男子は山へ行き、木炭を背中に背負って運んだりして、勤労奉仕活動などをしていました。終戦を迎え、米が不作だったこともあり、父が茨城に米を買いに行ったことも覚えています。
 今では、子ども3人、孫7人、ひ孫4人に恵まれ、私も80歳を迎え、「傘寿」のお祝いを19名の参加で祝ってもらいました。
 また、多くの友達、組合の仲間等に囲まれ幸せに暮らせるのは、大変だった時期に育ててくれた父母のおかげと、平和な世の中があるからと感じています。

当時の父と職人さん達 (前列左から3人目が父親)

当時の父と職人さん達
(前列左から3人目が父親)

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