東京土建品川支部

東京土建品川支部

分会長のふるさと自慢・思い出

 この特集では品川支部13分会の分会長さんに「ふるさと」について自由に語ってもらいました。このお正月、帰省する人もしない人も「ふるさと」のこと、考えてみませんか?

 

桜島臨む町

大井分会長 下迫田アヤ子

 私たち夫婦のふるさとは鹿児島です。私は市来町、主人は串木野市、現在は合併していちき串木野市になりました。
 海と山と川に恵まれ、歴史と伝統のある町です。漁港も盛んで、年末になるとマグロ漁船が入港し活気を増します。祇園祭、七夕踊りと郷土の伝統芸能があり、民話や伝説が語り継がれています。祇園山は男山三台、女山三台あり、山車の大きさは県内随一です。二階造りの組み立て式で、山車には多少の差はあるものの欄干をふくめると正面幅2・5m、奥行き3・5m、高さ5m、車輪の幅が70cmの堅固なものです。二階にはそれぞれ等身大の人形の置物があり、とてもすばらしいものです。七夕踊りは大阪万博で披露されました。また鹿児島名物といえば、「いも焼酎」「黒豚」「さつま揚げ」が有名です。私の町にも酒造工場が五軒ほどありました。ここの銘柄が近くのスーパーに並んでおり、何十年と主人は愛飲しています。桜島も迫りくる大噴煙で避難を余儀なくされる事もありましたが、今では小康状態にあるようです。人間の思い通りにならないのが自然の中で生きること、そこには素朴なふるさとの暮らしがあります。来年は古希の同窓会が鹿児島で開催されるとのこと。皆に逢える日を楽しみに余裕をもって生活していきたいと思っています。ふるさとはずっと心の中で生き続けると思います。

 

祭礼の勇壮な「しゃぎり」

品川分会長 村松雄三

 私は東京中野の生まれですが、戦中三歳の時に母の田舎である静岡県の三島へ疎開しました。その後の東京大空襲で、中野の家も焼失してしまい、翌年には両親も三島へまいりましたが、父親は仕事の都合上、東京の親戚宅に間借りして、三島との二重生活を余儀なくされたこともありました。その後三島に家を構え、私のふるさとといえば、三島女郎衆で名を馳せた三島です。ふるさと自慢となりますと、8月15、16、17日の三日間執り行われる三嶋大社の祭礼です。昭和38年に東京へ出てまいりましたが、両親の健在のころは毎年8月に帰省しておりました。三嶋大社の荘厳さは申すに及びませんが、池には俺がここの主であるぞというような巨大な鯉が数十匹泳いでおり、それはそれは圧巻でした。昭和40年代前半に国道一号線にバイパス道が出来ましたが、祭礼の際、三島市内を通る旧国道は三日間車両全面通行止めになります。昼間は山車が十数基出て、笛、鉦、太鼓のお囃子、これを「しゃぎり」といい、町内を練り歩き、なかなか勇壮なものです。夜は三嶋大社から三島広小路までの国道の両側に700メートルにわたってびっしりと露店がでますが、私が小学生の頃はまだカーバイドの灯で商売をしておりましたね。これを書いております折、ふるさとがとても懐かしく思い起こされました。

 

迫力の「山あげ祭」

豊分会長 靏巻久子

 私のふるさとは、栃木県那須烏山市。子供の頃から、今でも孫を連れて夏休みに「やな」というところに行きます。「やな」とは、川に仕掛けをし、鮎を取る漁法。ここでは、炭焼きや炊き込みご飯を注文。そして、新鮮な鮎じゃないと食べられないお刺身は絶品です。
 国の重要無形民俗文化財に登録されている「山あげ祭」は野外歌舞伎。450年の歴史があり、地元の烏山和紙を使って製作した背景は高さ10mもあり、三味線や歌に合わせて演じる舞は圧倒されます。他には、日光東照宮や結城紬、いちごや餃子、鬼怒川や大谷石など、たくさんありますが、紹介しきれなくて、「ごめんね、ごめんね~」

 

自然と歴史の町

中延分会長 佐藤博信

 私の生まれは、福島県相馬市です。浜通り北のはずれで、宮城県よりです。海では相馬港、県北地方広域経済圏の海の玄関口と松川浦県立自然公園、小松島とも称される所です。山は霊山(りょうぜん)自然公園、小学校の遠足のコースです。そして、何より相馬野馬追です。一千余年の歴史を誇り、史跡中村城跡での総大将の出陣式を皮切りに約500余騎の騎馬武者が戦国時代絵巻を繰り広げるお祭りです。
 また、民謡のふるさと相馬、「相馬盆唄」「相馬流れ山」などであります。交通においては、常磐自動車道の全線開通で利便性が広がりましたが、鉄道ではまだまだ復興中であります。頑張れ、浜通り、福島県。

 

銘酒がお気に入り

豊越分会長 松井広仲

 私が故郷の新発田から東京に出てきたのはかれこれ35年前になるでしょうか。今はもう慣れてしまいましたが、出てきた当初は「ごはん」と「水」のまずさにとてもビックリしたのを覚えています。
 故郷新潟は米どころであり、水がきれいであることから越乃寒梅や八海山などをはじめ多くの有名なお酒があります。
 新発田にも「菊水」「市島酒造」「金升」「ふじの井」の4つの蔵元があり、私は菊水の「ふなくち一番搾り」がお気に入りです。
 観光では「新発田城(国指定重要文化財)」別名「あやめ城」「清水園(国指定名勝)」「足軽長屋(国重要文化財)」などがあり、また、春には「加治川の堤桜」夏には「しばた台輪」「花火大会」などがあります。
 そして、開湯100周年の「月岡温泉」は素朴な温泉街です。一度足を運んでほしい温泉です。
 新発田出身の有名人はというと「高田馬場の決闘」「赤穂浪士四十七士」で知られる「堀部安兵衛」、仮面ライダー「佐々木剛」、大相撲力士「豊山」など多数おります。 最後に、私が小さい頃は家の裏の小川にホタルがいたり、メダカがいたりしたのを思い出します。新発田にいた年月より新発田を出てからの方が長くなりましたが、故郷の記憶を失わず、生まれ育った故郷新発田を大切にしていきたいと思います。

 

温泉で間話

八丈島分会長 佐々木康行

 私のふるさとは八丈島です。島を離れた時期もありましたが、27歳のころに戻り、ずっと暮らしています。
 私は温泉につかることを日課にしています。泉質は塩化物泉で、薬を飲むより、膝の痛みも楽になります。夕方仕事が終わると温泉に行って、馴染みの顔ぶれと世間話をしながら1時間くらい過ごします。居酒屋で酒を飲むのと同じようなもので、楽しい時間です。 八丈島は、みんなのんびりしていて、人とのつながりも密な良いところです。

見晴らしのいい露天風呂

見晴らしのいい露天風呂

美味しい水が評判

小山分会長 中川政春

 私は熊本県御船町の出身です。熊本名水100選にも選ばれた吉無田高原があり、多くの人がおいしい水を求めてやってくるようです。また、熊本は球磨焼酎に馬刺しや辛子れんこん、団子汁、いきなり団子などが名物で、団子汁などは家庭でも作ります。焼酎は翌日に残らないので、飲みやすく、私も毎日飲んでいます。
 子どものころは、5キロほど離れた公民館で年に2、3回映画が上映され、友達と連れ立って見に行くのが楽しみだったことを思い出します。
 今は、仕事も忙しく、なかなか帰郷する機会がありませんが、故郷に戻ると、温泉に入って、兄弟と酒を飲み、名物を食べるのを楽しみにしています。

 

当たり前にあった豊かな自然

南品川分会長 松川しめ子

 私の出身地は、山形県と秋田県の境にある鳥海山の一合目です。山もあれば、海(日本海)もあり、庄内平野の盆地で、夏は暑く、冬は寒い静かなところです。ふるさと自慢ですが、実家の近くに熊野神社という小さい神社があり、毎年夏休み頃になると、そこで「比山」という能舞があるんです。何組かの舞があり、子ども心に、逆立ちしながら舞台を回るという場面が好きでした。その比山が無形文化財になっています。先日テレビを見ていたら偶然にその神社が出ていて、秋篠宮様と悠仁様が訪ねておられました。あとは自慢ではないですが、小学校の行事でいも煮会があり、地域ごとに子供たちだけで材料を乗せたリヤカーを河原まで引いて、始めから作って食べたり、裏山に小枝や薪を拾いに行ったり、山々が明るくきれいで、あのころはいつもの風景だったので、気にしなかったけど、今思えばあれが紅葉だったんだと懐かしく思います。冬になると、体育の時間を他の教科にして、三時間くらい貯めて近くの山にスキーに行ったり楽しかったです。小学校は今は廃校になり、語り部の会場になっており、少し山の方にキャンプ場も出来たみたいです。自然がとてもきれいなふるさとが私の自慢です。

 

都会だって大事なふるさと わが町品川

 

住み心地のいい町

旗中分会長 小谷部好美

 私のふるさとは、品川です。小学校は源氏前小学校。学校のそばの駄菓子屋や、駐車場や空き地で野球をしたりして遊んでいました。近くに、怖い「おやじ」がいて、ボールが庭に入れば、仲間のだれかが怒られていましたが、今思えば、いい思い出です。
 中学校は、荏原第三中学校。私のクラスはちょっとあばれん坊の多いクラスでした。その中で育ったせいか今の私が誕生しました。品川区では今「学区」がなく、学校を選べる時代になりました。私の母校の小学校は、生徒数が少ないと聞きます。私の中学校はもうありません。小学校も少し心配です。でも、私のふるさとは品川です。昔も今も住み心地のいい町です。私はこの町が好きです。

 

桜の名所 かむろ坂

後地分会長 佐布繁男

 生まれも育ちも品川で、実家は桜の名所かむろ坂にあります。正確にはわかりませんが、三代100年以上になります。
 近所には林試の森公園があり、森林浴が楽しめます。また、古刹の目黒不動尊もあり、昔は毎月28日の縁日には参道に人があふれるほどでした。小さい頃は100円もらって、一日中縁日で遊んだのがいい思い出です。

 

地元に根付いて

二葉分会長 飯村秀治

 今回、ふるさと自慢の原稿依頼を受け考えますと、現在の場所に引っ越してきて早50年になりますが、自慢できるようなことは思いつきません。
 この間、卒業してきた小学校と中学校は、小中一貫校の影響で合併して、名目上はなくなってしまい、さらに高校まで都立の統廃合でなくなってしまい、悲しいです。
 でも地元での仕事の依頼があり、お得意さんが増えてきたのが自慢かな。

 

初の新幹線見えました

西品川分会長 石谷 護

 私は西品川1丁目の妙光寺の裏の一角で生まれました。戦争中で、明電舎の工場がそばにあったため、空襲の危険があり、強制的に今の作業場のあるところに引っ越してきたのです。今は平成元年に東品川の方へ移り住んでいます。ふるさと自慢など何もない、いわゆる故郷といわれる山も川もなく、小さい時の思い出を少し書かせてもらいます。
 道路の両側には「どぶ」と呼ばれる排水溝があり、水の滞っている小石などをどかすと糸ミミズがおり、金魚のえさにしたものです。八百屋のおじさんは馬に引かせた荷車で荷物を運搬しているような穏やかな時代でした。今新幹線の通っているあのころの貨物線(品鶴線)の線路には自由に入れ、9cmくらいの釘をレールの上に置き、機関車に引かせ平らになった釘で忍者の手裏剣のまねをして遊んだのですが、レール上にくぎを置くことが危ないということであの大きな機関車を止めて、運転手さんが私たちを追いかけ、友達の母親に注意していくといったこともありました。この貨物線から進駐軍の米兵がチョコレートやお菓子を投げてくれたこと、また東京オリンピックに向け新幹線の長期間の工事が終わり、最初の新幹線を家の窓から興味を持って見られたことも昨日のように思い出しました。小さい頃の思い出はいろいろありますが、これが故郷だと思うと少しさびしいですね。

 

近所に皇后さまのご実家

五反田分会長 大西晃

 私のふるさとは、五反田です。ふるさと・古里・故里・故郷、どの字を見てもイメージが合わず、私には故郷は無いと思っていて、妻の実家のある上越が二人のふるさとだと考えるようにしていましたが、生まれた所が「ふるさと」と考えれば、間違いなく「ふるさと」は五反田といえます。
 終戦前年の昭和19年に生まれ、物心が付いた頃は家の周りは麦畑と瓦礫の山の空き地でした。空襲がひどかったようですが、我が家はなんとか無事で近所の人達と助け合って生活したと聞いています。そんな中、遊びの天才の子供達は毎日瓦礫の山で泥合戦をして遊んでいました。時には泥の中に石を入れ、よく飛ぶ工夫(?)をして、怪我をすることもありました。私も額に直撃を受け、八針も縫う大けがをしました。当時の親は生活に追い回され、遊びにけがは付きものと考えていたようで、石を投げた子も何も咎められず、ただ注意されただけでした。今では考えられないことが普通の時代でした。小学校から中学に入る頃にはかなり五反田も発展し、中学二年生の頃、皇太子様のご成婚があり、美智子様のご実家を仲間と見に行ってお菓子をいただいたこともあり、非常に誇らしく思いました。現在、ご実家の跡地は「ねむの木公園」として開放され、近隣はもちろん遠方からも花を見に来る人が絶えません。静かな街、便利で住み心地の良い街、そんな五反田が好きです。

 

仲間とともに世界を支える仕事を

品川支部執行委員長 野村 和好

 新年明けましておめでとうございます。旧年中、春・秋は勿論の事一年を通しましての拡大運動にご尽力いただき、仲間を増やす取り組みを行いました。組合員家族の皆様の貴重なお時間を組合活動に参加ご協力頂き、ありがとうございました。 昨年から新たに「NA・TSU・KO~仲間とつながる交流会」を春秋と開催いたしました。青年・後継者対象の仲間の参加が多くあり、次世代の建設業界並びに品川支部の活動を任せられる人材が、ここで顕在化しております。新旧組合員の信頼関係が出来上がりつつあります。
 今年の春には参議院選挙がありますが、時局柄、衆院解散やダブル選挙も十分考えられます。政党や議員に対しての、恩返しも敵討ちも投票しなければ儘なりません。投票所に多くの方に足を運んで頂ける事がまともな国にする近道です。そうはいっても区内の各政党会派とは、良好なお付き合いが年々増しており、区内四組合との協力体勢が強力体勢となっての賜物だと思います。“住宅センター”や“住宅まつり”の成功も然りであります。TPPが今国会で批准されれば、先行き不透明な「公契約条例」ですが、それより先に「防災協定」締結が急務であり、条約制定までは実にやり甲斐のある仕事だと考えます。
 昨年で3年連続の設計労務単価が上がりましたが、私たちの賃金は微動だにいたしませんし、標準見積書、法定福利と、いっこうに周知に至っておりません。それに加えて、マイナンバー問題と今年の就業実態調査、これは品川支部で700名余りの国保組合員が対象になり、来る3月の確定申告書控の複写を提出することになります。昨年の172名を大きく上回る人数です。これで3月の確定申告は絶対的なものになりました。年末まで事務局の繁忙を察して頂き、速やかな提出をお願い致します。
 昨年も異常なる豪雨災害が関東地方にも多くあり、平素雨の多い八丈島も近年雷と雨の量は想像を絶するそうです。災害列島日本に住むかぎり、もはや他人事ではありません。先の“けんせつ”12月号では、板橋支部14回目の東北復興支援の記事、ご覧いただけたでしょうか。震災直後に駆けつけるのも一考、数年経って熱が冷めてからお役に立つのも一考ではないかと?もうそろそろ品川支部も立ち上がる時期と考えております。
 世界情勢はますますきな臭く、国内は旧“三本の矢”の悪い部分が表れ、決して先行き楽観視できないものの、国の基幹産業を担う土建の仲間と手を携えて“光の道”を進んで行こうではありませんか!心の中はいつも“世界はだれかの仕事でできている”と……

 

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