東京土建品川支部

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語り継ぐ戦争体験

~子ども時代のつらい記憶~

集団疎開の思い出

豊越分会 松永 静枝

 太平洋戦争の末期の昭和19年9月、米国の空爆が始まるとの事で、東京の小学校は集団疎開が始まり、当時四年生だった私も富山へ向かいました。

「お国のため」とこらえた

 わが校では、近隣の四か所の村に分かれて生活することになり、私も村の大きな寺に決まり、生活する大広間に入ったとき、初めて親元を離れた心細さを感じて泣きたい気持ちを当時「お国のため」との教えでこらえました。その後、地元の学校へ通い、自然豊かな環境に癒されて、それなりに楽しく過ごしていましたが、11月の終わりに友達の家に焼夷弾が直撃し、両親が亡くなったとの知らせがありました。その時の彼女の表情は今でも時々思い出します。
 そして、東京は大変なことになっていることも知り、落ち着かない日々を過ごす中、3月10日東京大空襲があり、幸い家族は無事でしたが、家も家財も焼かれて皆で母の実家の新潟へ疎開することになり、父が迎えに来て、10か月ぶりに家族に会った時のうれしさを今でも忘れられません。

二度と繰り返さない

 終戦を迎えた22年暮れ、初めて東京の悲惨な姿を見たとき、戦争の空しさ、恐ろしさを思い知らされました。戦争を肌で感じた人が少なくなった今、二度と戦争をしてはいけないと若い人たちに伝えていかなければと思います。

 

今にして思うつらい日々

中延分会 関島 幸吉

 これは所謂「大東亜戦争」が勃発前、勉強の時間はまだそれなりにあったが、戦局が進むに従い、それも段々厳しくなり、学問の府に身をおけばよいというわけにはいかず町工場へと勤労奉仕に出されることになった。時代の流れとはいえ何の経験もない商業系の中学生に来られた工場としても多分に迷惑だったと思う。係長か職長クラスがつきっきりで面倒を見るのだから大変なことだろうと今にして思われる。
 まだ日本は支那大陸での戦で連戦連勝の報せに浮かれていた。そのころ私の家には住み込みの職人が4人いたが、次々に応召した。まだ子供だった自分は人出の多い縁日の夜、千人針に無事を祈って女性方に結び目を作ってもらったことを鮮明に覚えている。
 それから早くも数十年の時が過ぎ去ったが、それぞれの人達は無事だったろうか。今にして思い出されるつらい戦争の日々だった。

 

いっぷく

自転車

五反田分会 岩崎 幸仁

 長女が最近自転車(補助輪なし)に乗れるようになりました。今年の春に小学1年生になった長女ですが、3歳の誕生日にお爺ちゃん、お婆ちゃんに自転車を買ってもらって以来、なかなか練習する機会を作ってあげられずにいました。
 たまに練習をしては、自転車に振り回されてイライラする長女と、指導も的確なアドバイスもできずにイライラする親とで最終的に喧嘩になって、その日の練習は終わりになるパターンに悩んでいましたが、神宮外苑で自転車の教室を開催していることを知り、2回の参加で乗れるようになりました。
 声の大きい怖そうな指導員の方に教えていただき、徐々に感覚をつかんで、得意げにペダルを漕いで戻ってきた長女が「いや~、自転車って楽だわ~」と言って、またペダルを漕いで走り去って行った時には、とても感慨深いものがありました。
 指導して頂いた方々の、「事故にあわないように、事故を起こさないように」という信念を忘れずに、楽しい自転車の思い出も作っていこうと思います。

 

7月10日・11日

シニア品川一泊旅行 いわき塩谷崎方面へ

シニア品川会長 吉田 吉末

 7月10日、天候に恵まれ、シニア品川一泊温泉旅行を、いわき塩谷崎方面へ39名で出かけ、朝一番にアサヒビール茨城工場を見学し、出来立ての冷えたビールで気持ちよくなり、バスの中では、例年通りクイズあり、じゃんけんありで楽しみながら、水戸ドライブインにて昼食の釜めしを美味しくいただきました。午後からは江戸中期に建てられた「豪農穂積家住宅」を見学し、その日の宿「ホテル塩谷崎」へ四時半に到着。入浴後、宴会となり、カラオケなどで大いに盛り上がりました。翌日は塩谷崎灯台へ上る人、脚の悪い人は海岸で美空ひばりの歌を聞きながら、この穏やかな海からあの恐ろしい津波が来たとは思いませんでした。まだ復興には途半ばだと感じながら、食事処の那珂湊でお寿司を頂き、大洗町のめんたいパークを見学した後、最後に鉾田町みなみ果樹園で、一テーブル四人でメロンをおなか一杯食べ、暑かったこともあり、美味しかったです。
 来年も大勢の参加をお願いいたします。

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快晴にめぐまれ、楽しかった

 

7.19 青年部主催

川遊び・バーベキューin奥多摩

 7月19日(月・祝)に青年部主催の「奥多摩・川遊び・バーベキュー」日帰り旅行(百軒茶屋キャンプ場)を青年部員&家族合わせて16人の参加で開催しました。
 昨年は雨でしたが、今年は天気にも恵まれ、参加者はバーベキューに川遊び、スイカ割りを楽しみ、マスのつかみ取りではマスを掴もうと大はしゃぎ。大人も子供も夏の一日を大いに楽しみ、親睦と交流を深めることが出来ました。
 青年部ではこれからも青年組合員(35歳以下)の交流と結集を図っていきます。
 皆さんの参加、お待ちしています!

 

ぶらり品川 その(118)

品川の地名・人物 蛇窪村

二葉分会 吉田 ミサ子

 江戸時代の初期には、「上蛇窪村」「下蛇窪村」と村が存在していたものらしい。名称の由来について、「風土記稿」では「此辺湿地なれば蛇の多く住めるによりて、村名とした」と記している。「品川の口碑と伝説」においては、「源平の戦のころ、兵を備えた地なので、兵備の窪地がヘビクボになった」という説を唱えている。
 蛇窪の名は、昭和七(1933)年の荏原区誕生の際に神明(しんめい)と改められた。
 これは「蛇窪」という名が暗い印象を与えるために嫌われたものといわれている。新しく付けられた名称はそれぞれの村の鎮守「神明社」であるところから、上神明町、下神明町と名付けられたものである。この上神明町・下神明町も昭和16(1941)年4月1日からは「豊町と二葉町」とに再編成された。
 現在、白蛇をまつる上神明天祖神社の宮司さんが商店街と協力して地元を「蛇の街」としてアピールしている。神社と商店街を含む一帯がかつて蛇窪村だったことにちなんだ取り組みで蛇のキャラクターを作成、イラスト付きの商店街マップも作り、神社や店などで配布している。

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上神明天祖神社にまつられる白蛇

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