東京土建品川支部

東京土建品川支部

11.4 品川区と建設四組合

災害時協定を締結

地域に貢献 共助の意識で

 昨年11月4日、品川区と区内建設四組合との間で災害時協定が締結されました。これで、東京土建では、東京都62自治体のうち33自治体と過半数が締結したことになります。
 災害時協定は、来るべき首都直下地震に対する迅速な応急対策および復旧・復興対策のひとつとして、各自治体と様々な分野の事業所・団体との間で締結が進められているところです。
 組合への協力要請事項は次の通りです。
 1.倒壊建物等からの救出、救助に要する人員および資機材の提供
 2.避難施設および区施設の応急的な危険度判定と応急修理
 3.その他、災害応急対策に必要と認める業務
 私たちが生活する品川区は、圧倒的に木造住宅が多く、道路も狭く、住宅密集地であり、加えて高齢者も多い地域です。私たちの街を自分たちの手で守っていくためにも、地元行政と自助・共助・公助の理念を共有し、いざ震災が起きたときに備えて、協力できる体制づくりが必要です。
 今後は「建設事業者が地域に貢献すること」を理念として、平素から防災まちづくりに関与し、意識づくりや共助意識の向上を図っていくために、登録者に対して救急救命講習・災害時研修・防災訓練への参加、機材の使い方の指導等を行っていきます。
 品川支部では、現在54名の組合員が登録しています。登録者の募集は随時行っていますので、積極的なご協力をお願いします。

 

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いっぷく

両国から北斎通りへ

後地分会 瀬川 光司 

 2017年1月1日付の東京都広報は小池百合子知事の新年の挨拶から始まり、読み進めると、9面に「東京のオアシス」という欄がある。私の趣味でもある公園散歩等々が載っているので、時々見ることがある。
 今回は「両国から北斎通り(墨田区)」であった。1月21日(日)、前日までの冷え込みもなく、晴天で暖かく、両国駅に着くと稀勢の里の優勝で大変盛り上がって、混雑していた。人ごみの中をすり抜け、北斎通りを進むと右側に淡い銀色の「すみだ北斎美術館」が見えてきた。昨年11月に開館した、とても近代的な建物である。入館料300円(65歳以上)を払い、4階の展示場へ。90歳まで生きた北斎の作品を堪能した。
 帰りは勝海舟生誕の地、吉良邸跡、回向院を回り、両国駅へ、周辺には相撲部屋があり、ちゃんこ鍋屋が20軒ほどもあったのにはびっくり、さすが両国だなと思い、家路へついた。
 2回目の両国散歩であったが、まだ見ていない場所が沢山ありそうなので、また来ようと思った。

 

分会行事報告 新年会

組合活動で「生きる力」

豊越分会 好井 春恵

 豊越分会は毎年忘年会を行い、親睦を図っておりましたが、昨年の暮れは皆さんお仕事が大変忙しく、日程が取れず、本年は新年会を1月21日に「五輪鮨」で開催しました。
 若人30代~後期高齢の90歳まで、職種もさまざま、しかし家を建てるときは職人が全員そろうという土建ならではの楽しい集いです。
 お酒とお料理も進み、この次の分会長は誰になってもらうか、新しい人を拡大するのにはどうしたら良いか、また若い参加者に対して先輩から組合員としての在り方の話があり、前向きな意見で盛り上がりました。
 二次会では、松井分会長を先頭にカラオケ、久しぶりに夫婦で楽しませて頂きました。
 私事で恐縮ですが、昨年の一月から夫が闘病生活になり、一時は組合を辞めることも考えましたが、病院の先生や薬の効果もあり、8月頃から快方に向かい、再び活動が出来るようになり、夫の生き生きしている姿を見て、仲間がいるという事は生きる力になり、また人という字は支え合っていますが、もう少し頑張っていこうと思います。

 

大人も子どもも楽しく食事

大井分会 伊藤 紫麻

 1月28日(土)、大森駅近くの「日本海庄や」で大井分会の新年会がありました。大人19人、子供5人でお母さんと一緒に参加しました。始めに白子とあん肝が出て、お母さんはおいしいおいしいと食べていたけど、私はまだおいしいと思いませんでしたが、皆で楽しく食事ができてよかったです。
 また参加したいです。

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おいしい食事に大満足

 

若い人たちにも参加してほしい

小山分会 細谷はな子 

 1月28日、武蔵小山「西海」で新年会を行いました。メンバーはいつも一緒ですから、始まる前から和気あいあい。分会長の乾杯で始まりです。飲んで食べて、しゃべって騒いで、残った料理はお土産に。安くておいしくて、それは楽しい新年会でした。
 若い人たちをもっとお誘いして、参加して楽しんでほしいです。

 

ぶらり品川 その(123)

品川の地名・人物 重宗芳水 

西品川分会 石谷 教治 

 昔、大崎町には、第一日野小学校と第二日野小学校の二校あるのみで、子供たちは遠くの小学校まで田んぼのあぜ道に長靴をとられたり、傘をとばされてびしょぬれになって通っていました。こうした子供たちの様子を見かねて学校新設を念願としたのが、明電舎の創始者、重宗芳水(1873―1917)でした。しかし、芳水はその実現を見ることなく他界。芳水の遺志を引き継ぎ、学校の寄付を申し出たのが、芳水夫人の重宗たけ子でした。会社のそばに分教場を作って寄付したい考えでしたが、大崎町はその厚意に感謝しながらも一つの分教場では足りないため、のちに町長となる松原伝吉町会議員を通して寄付を願い出ました。そして、重宗家に近い場所を学校の敷地としました。
 大正七年十一月には校舎が落成し、十二月に開校の運びとなりました。住人達からは、「竹やぶが学校にかわった」と喜びの声があがりました。
 大崎町では重宗家に感謝し、荏原郡大崎町芳水尋常小学校と命名しました。この小学校が現在の芳水小学校です。

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