東京土建品川支部

東京土建品川支部

3・23 品川区内四駅頭で

建設労働者の処遇改善訴え

賃金対策部長 津田 光久

 3月23日(木)に建設四組合共闘で、35名(品川支部14名)が集まり、四つの駅頭で建設労働者の処遇改善と賃金引き上げを訴え、チラシとティッシュを配布しました。国土交通省は、17年に公共工事設計労務単価の引き上げを5年連続で決定してきましたが、大手企業は内部留保を多く増やしていますが、我々労働者にはその波及は届かず、賃金は横ばいを続けています。そのため、若年労働者の入職が少なく、社会インフラ整備の労働力の減少につながっています。また、東日本大震災や熊本の大地震の時には、いち早く現場に駆けつけている建築従事者が復旧、仮設住宅の提供を行ってきました。
 その建設業は6Kといわれ、若年入職者の減少と過酷な環境での離職により、窮状を余儀なくされています。そんな過酷な状況を打破するために、賃金の引き上げ労働環境の改善を訴えました。品川支部の皆さんは積極的にチラシ入りのティッシュを大井町阪急前で通行人の方に配り、早々と700個のティッシュがなくなり、終了しました。お疲れ様でした。

 

いっぷく

手術して良かった

品川分会 稲垣 陽子

 人工膝関節置換術、簡単に云いますと、膝の手術です。NTT関東病院に行き、整形の先生に会い、手術をしない方法を教えてもらいたいと話をしましたら、だまって聞いてくれましたが、先生は手術をしたかったら、いつでも予約をとって来てくださいと言われ、エーと考えてから、お礼を言って帰りました。ここの先生は、膝の手術をするための医師なのかと思い、改めて予約をとりました。
 きっかけは、80歳の人が膝の手術をするみたいよと娘から聞き、私も手術をしようと決心しました。最初は、手術前の検査、臨床検査、自己血輸血手術室、麻酔など、15日間入院、リハビリは五ヶ月間近く通いました。だんだん痛みがなくなり、歩くのに楽になりました。担当医の先生には、ひたすら歩きなさいと云われましたが、長く歩くと疲れます。もう一年三ヶ月になりますが、まだ杖が離せません。でも手術をして良かったと思っています。

 

3・19 第14回シニア品川総会

心臓病について学習

シニア品川会長 吉田 吉末

 第十四回シニア品川の総会を会員71名で中小企業センターで行いました。学習会では、川口毅旗の台健診センター長にお願いし、「心臓の病気と最近の治療法」について話をしていただきました。自らも心臓病にかかり、治した方なので話に説得力があり、まずは自己管理をしっかりして、病にかかったら、すぐお医者に行くことが一番だと思います。活動報告では、福島茨城一泊温泉旅行、男の料理教室などの写真をスライドで見ながら、参加した人たちが出るたびに楽しそうに笑いながら見ていました。親睦と交流だなと思います。新年度方針案では、現在シニア品川会員170名を割っています。春、秋の拡大で65歳以上の組合員にシニア品川がやっている一泊温泉旅行や男の料理教室などいろいろなことを説明しながら誘ってください。午後は食事をかねての懇親会を楽しみながら一杯のビールを飲みながら終わりました。最後になりましたが、新役員を紹介します。
〈新役員〉
会長

吉田吉末(豊)
副会長
上脇康雄(豊越)
重盛富子(小山)
高柳訓雄(後地)
事務局長
吉岡秀一(五反田)

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シニア品川の仲間と

 

第53回主婦の会総会 3・24

団結して、協力を

西品川分会 辻 京子

 3月24日(土)、第53回主婦の会総会を中小企業センターにて行いました。関口副執行委員長も出席し、52名の参加で開催しました。
 津田主婦の会会長の挨拶から始まり、一年間の活動報告、組織部の報告では、拡大がなかなかできない、組合と一緒に頑張らなくてはと思いました。
 教育宣伝部では、支部発行している「かがやき」が本部「分会機関紙コンクール」と「本部主婦の会機関紙まつり」に入選したこと、すごいと思いました。ほかに学習会、手芸教室、料理教室など、母親大会、平和大行進、バスハイク、主婦の会ならではの活躍に協力していきたいと思います。
 後継者世代にも声かけをしていきます。

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新役員のみなさん

 

ぶらり品川 その125

品川の地名・人物 星 一(ほしはじめ)

小山分会 細谷はな子

 明治6年福島県生まれ。26年アメリカ・コロンビア大学に留学し、最も華やかな時代のアメリカで、自由で合理的進歩的な文化を吸収してきました。この苦学の時、病気にだけは注意し、調子が悪いとすぐ薬を飲んで治していました。この経験から、39年帰国した星は製薬所を創設、5年後には大崎駅前に星製薬株式会社を創立します。
 星は人を大切にする考えの人で、社内に診療所や図書室を、また教育部門として星製薬商業学校を設立し、全国チェーン店の子弟の育成に力を注ぎます。やがて日本一の製薬会社となります。
 その後、大正時代にはアヘン事件や乗っ取り騒ぎ等が起こり、社会的信用を失って、社運は下降していきます。
 星製薬商業学校は、昭和16年星薬学専門学校と発展し、学問と共に医薬の改良、新薬の発明を目指していきます。そして昭和25年星薬科大学となり、現在に続いています。
 大学にはアメリカで苦学時代をともに過ごした同郷の友、野口英世の使った顕微鏡が残されています。

 

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