東京土建品川支部

東京土建品川支部

品川支部

記念式典・祝賀会

60周年を祝う

60年の節目にさらなる前進を

 12月3日(日)、TKPガーデンシティ品川にて「品川支部結成60周年記念式典・祝賀会」が、総勢219名(組合員・家族174名・来賓45名)の参加で開催されました。
 記念式典では、桑村副区長をはじめ多くの来賓の方々よりご祝辞をいただきました。区からは、「東京土建には、昭和58年より始まった品川区住宅センター協議会で中心的な役割を担っていただいており、区民からも組合員の責任施工と細やかなアフターサービスが好評を得ている。また、昨年区内建設四組合と締結した「応急対策業務」の協定に関し、積極的な取り組みに感謝している」との言葉がありました。
 また、歴代執行委員長および永年在籍者への表彰が行われました。
 続いて行われた祝賀会では、来賓・役員による「鏡開き」、「居木囃子の獅子舞」「坂本冬休みのものまねショー」などのアトラクションで、たいへん盛り上がりました。特に、「60年を振り返ったスライドショー」では、写真に写った懐かしい顔に客席から歓声が上がるなど、支部の歴史に感動する声があちらこちらから聞こえました。
 最後には、野村委員長の三本締めで元気よく締めくくり、結成60周年の節目にふさわしい式典・祝賀会となりました。

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新しい年をより良いものに

支部執行委員長 野村 和好

 組合員、家族の皆さん、新年あけましておめでとうございます。怒涛の勢いで過ぎ去った昨年の組合行事、お疲れの事とお察しいたします。通年にわたる「仲間を増やす」運動をいつも心に抱えながらの諸行動参加、ありがとうございました。
 昨年は、5年に1度の一泊での品川支部定期大会が群馬県磯部温泉で執り行われ、上々の成果もあり、心身ともに癒された気持ちです。
 2月と7月に開催された「NA・TSU・KO」は、「異業種交流」を目的とした名刺交換会で、事業所所属の組合員も少人数ではありますが、増えつつあり、活況の内に執り行われています。この会で次世代の組合を担う役員候補も現れつつあります。反対に毎年3月の重税反対全国統一行動に伴う集団申告は、年々数を減らす傾向にあります。若い人は電子申告に移行し、数年前からは、品川、荏原両税務署に送迎するバスも一台ずつになっておりますが、デモ行進にはいまだ多くの参加者があり、心強いばかりです。また、6月と11月の「消費税の再増税に反対」する区内四駅頭宣伝では、道行く人々の関心の低さに、外国の偉い学者が「税金は貧乏人から取るもの!」という発言を信奉するお上の思う壺になってしまいますから、手を緩めることなく継続していきます。
 昨年の前半は「社会保険未加入問題」の影響で仲間の加入は多くありましたが、年齢による自然減や、上位会社の誤解によるわれわれの「建設国保」から「協会けんぽ」への強制移行があり、一年を通じて1%以上の実増にはなかなか届きませんでした。秋の大運動では事業所から社保未加入による加入が少なくなり、毎年のごとく「クリスマス拡大」に突入し、ご苦労をかけてしまいました。
 一昨年、区内四組合が品川区と結んだ「防災協定」に伴い、「町の建設救援隊(マチケン)」の発足会を開催し、東京土建墨田支部の自主防災組織・ハンマーズ」から講演をいただきました。その後「救急救命講習」「防災訓練」を行い、今年も引き続き、新しい施策を取り入れながら、加入促進を図り、安定した組織人員で推移を見守るつもりです。
 昨年7月より「足場特別教育」を受講しなければ、足場はもとより、脚立の移動や設置、使用もままならぬ事になり、支部事務所で講習会を開きましたが、その際、過去の資格取得歴がない方が多数いました。今年創設予定の「建設キャリアアップシステム」にとても対応できない現状であり、多くの仲間に資格取得を促しつつ、この新しいシステムの説明会を開く必要があります。
 6月には、区内12分会で40回目の住宅デーが晴天の下、賑々しく繰り広げられました。住宅相談も増え、上々の成果がありました。中でも西品川分会のミニ上棟式では、近隣住民も参加して、目を見張る出来栄えでした。その後、上棟された家屋を利用して「マチケン」の訓練に使用する倒壊建物に作り替えましたが、皆さんご存知の通り、秋の「品川区住宅まつり」が大雨で中止になったため、その倒壊建物からの救出訓練を皆さんにご披露できなかった事、大変残念に思いました。大雨といえば、厚生文化部主催の秋の支部バスハイク、台風の到来となり、大きな白波たつ犬吠埼から冠水する道路を走行し、早々に帰路につきましたが、これはこれで、一生忘れえぬ思い出になりました。当日は、総選挙の投票日でしたが、この総選挙の前は、都議選もあり、新しい党やら、すっかり少なくなってしまった党など、ごたごた続きで、他人事の観点からすれば、選挙は「エンターテイメント」そのものでありました。
 11月には、東京土建本部70周年記念イベント「土建まつり」がよみうりランドで開催されました。各支部の多種多様の出店にもかかわらず、品川支部の「八丈島物産展」は、「くさやのかおり」に誘われて多くの方々の来店があり、立地条件と取り扱う品も良く、好評のうちに終了いたしました。品川支部では115名の組合員・家族の参加があり、実行委員やお手伝い下さった方々には、お疲れ様でしたが、実に楽しい達成感のある一日でした。
 それにもまして、すばらしい成果を収めたのは、12月の「支部60周年記念式典・祝賀会」でありました。多くのご来賓をお迎えし、開催いたしました。私の挨拶から始まり、来賓の祝辞を頂戴し、祝賀会では、さまざま盛り上がるイベントありで、すがすがしいクールダウンの心もちになりました。それとは反対に熱かったのは、数名の若い仲間です。帰りぎわに「来年度から分会役員を引き受ける」という発言がありました。この式典の実行委員並びに役員、書記局の奔走する姿が彼らの脳内に覚せい作用をよび起こしたのだと確信いたしました。これからの10年に向かってのすばらしいケミストリーでした。
 最後に、旧年中は多岐にわたり、ご尽力いただき、大変ありがとうございました。
 今年が皆様にとりまして、旧年にもまして明るく先の見える、すばらしい一年である事を祈念してご挨拶とさせていただきます。

 

東京土建品川支部は、今年3月に60周年を迎えます。
そこで同じく60歳になる組合員さんに聞きました!

60年をふりかえり、あなたの

「これは良かった!」

教えて下さい!

 

親から子へ受け継がれる仕事

豊越分会 木下 一弘

 組合員の皆さん、新年あけましておめでとうございます。今年は品川支部創立60周年、あわせておめでとうございます。
 私も今年11月に人生60年を迎えます。まさに品川支部と同い年です。
 現在私は、豊町で電気工事店を営む父(現在会社会長)の後を継いで、2代目社長として仕事に励んでいます。
 私が今でも忘れない東京土建との思い出があります。それは小学四年生の時に支部結成10周年の記念行事で、子供の国の運動会に家族で参加し、私が競技で入賞して、お米をいただいたことです。私が父の跡を継いで電気工事の職に就こうと思ったのもこの頃で、小学6年生の時に、僕の夢という題材で書いた卒業文集がきっかけです。文集の中で、中学を卒業したら、電気科のある高校を卒業して、大学でも電気の勉強をして、その後父の後を継ぐんだと書いていました。実際に、高専の電気科を卒業後、大手電力会社に勤めましたが、やはり自分が職人となって、事業主になるんだという思いが強く、計装工事の修業をした後、30歳で父の後を継ぐことになりました。自分の夢が叶い、結婚して子供にも恵まれ、仕事もほぼ順調で、父の後を継いで早いもので30年が経ちました。自分も還暦を近く迎える年になり、後継者のことを考えるようになり、大学を卒業して電気の大手工事会社に勤めていた長男に、今後の事を話しました。
 息子も結婚して子供を持った今、自立して仕事がしたいと思っていたらしく、昨年7年勤めた会社を円満退社して、一緒に仕事をすることになりました。
 後継者不足に悩む仲間が大勢いると思いますが、親子3代続くことになりました。元気とやる気が一層増した気がします。還暦を迎える今年、後継に仕事を引き継ぎながら、仕事にまい進していこうと思っています。

 

息子の成長 喜びと感謝

五反田分会 仲村 慶栄

 来年、還暦を迎えると思うと、時が経つのは余りにも早く、正に「光陰矢の如し」をつくづく感じております。めでたいこと、良かったことは何かとの問いに、何といっても一番に思い浮かぶのは、息子を授かった事であります。四十代に入ってからやっと授かった子どもであり、無事に生まれてくれた我が子を初めて抱いた時の喜びは、何事にも代えがたく、思い出せば今も熱く蘇ります。
 あれから十五年、一人息子は中学三年生となり、北海道で寮生活を送っています。一昨年の春、小学校を卒業したばかりの子どもを、心を鬼にして送り出した私達でしたが、長期休暇で帰省の度に見せてくれる著しい成長ぶりに、喜びと感謝を感じる今日この頃です。そして、何でもなく家族が揃って夕飯を囲む事、それが何より嬉しく喜びであります。

 

これからが楽しみ

豊分会 富田 良二

 私のこれまでに良かった事は、結婚して子育てができ、家族で旅行にあっちこっち出かけた事です。それまでいろいろあった事が嘘のように楽しい生活が出来てきました。
 いろいろな仕事につき、いろいろ技術を身につけ、やりがいがある時、大変な時もあったが何とかここまでやってきました。来年60歳になれば田舎に帰り、母の面倒も見ながら、仕事して、畑づくりや山菜取りに行く事が楽しみです。
 10代の頃は、大都会東京にあこがれ、上京して約42年間生活してきましたが、いまは故里の山や川、田んぼ、畑を懐かしく思い、楽しみにしています。

 

一人ひとりがプレミアム

中延分会 長南 弓子

 何といっても、現在の楽しみは、娘が来春出産予定という喜び。
 思い出しても恥ずかしい私自身の出産時の弱音を告白です。余りの苦しさに陣痛室で「もう子供はいらないから、私を助けて、先生!」破水後、促進剤で痛みはビッグ。14時間後、普通分娩で出産。某大学病院の看護師は私の耳元でつぶやいた。「あんな弱音を吐くなら、産まなきゃいいのよ!」と。でも、何のことなく、聞き流せるのです。爆発的激痛から解放される爽快感は言葉にできない。主治医は私に看護師の発言を謝罪しに来ましたが、私には微塵の怒りすらないのです。思い出す今も。あの痛みと苦しみに打ち勝つ満足感はあの時だけ!そして母子ともに元気であることは、「プレミアム」です。今、生きている皆がプレミアムです。
 命を大事にしましょう。

 

土建家族で これからも

旗中分会 津田 光久

 早いもので私もついに赤いちゃんちゃんこを着る年齢になってしまった。まだ全然実感がないのだが…。
 私が土建の役員になったのは、まだ9年前の事。そのころ娘は5歳で、西大井広場公園の住宅デーに妻と遊びに来ていて、組合の諸先輩方にかわいがられ、その辺をチョロチョロしていた。それから毎年参加し、土建のいろいろな行事、イベントに参加をして、我が家は土建家族として、品川支部の中で育ってきました。
 今年はその娘も高校受験です。妻は今や主婦の会の会長、私も副執行委員長になってしまい、娘も「将来土建で働いてもいいよ」という始末。この9年は、確かに土建に頑張ったつもりです。これからも土建の良さを皆に伝え、尽力していきたいと思います。

 

趣味はいろいろ 登山は生涯

二葉分会 中山 勝利

 今までよかった事は、趣味がいろいろとできたことです。小学生のころは、切手、コイン、ミニカー収集、中学生になるとモデルガン、米軍のミリタリー、高校では自転車競技部に入り、サイクルサッカーをやっていました。そのうち、自分でも本格的な自転車がほしくなり、バイトでお金を貯めて当時10万円でパーツなど自分で決めて、ランドナーという自転車を作りました。
 24歳で結婚し、その一年後長女が生まれ、子育てにお金がかかるようになると、必然と趣味が遠のいてしまいました。40歳の頃、図書館に建築の本を借りに行った時、たまたま山の雑誌を見て登山をやるようになりました。5、6年は1人で登っていましたが、当時各地で遭難の事故が多発、家族に迷惑をかけるので、品川山の会「さんかくてん」に所属しています。生涯の趣味として、登山をしていこうと思っています。

 

家庭も仕事も一生懸命

小山分会 菊池 正志

 子どもの頃を思い起こすと、楽しいことより、大変なことの方が多かったと思うのはどうしてなのか、楽しかったこともたくさんあったはずなのに…。小学校の頃、親の仕事の都合で、転校をしなければならない時が何度かあって、大変だったのも大きかったのかもしれません。
 学校卒業後、ガラス店に就職して、今も同じ仕事をしていますが、仕事を覚えるまではどんな仕事も同じでしょうが、大変でした。
 でも、この仕事が自分に向いていたのか、仕事もできるようになり、現場を任されるようになると、なかなかやりがいのある仕事に思え、仕事内容はきつい時もたくさんあるのですが、私がこの仕事に入った時が、アルミサッシが一般住宅に使われるようになってきたときなので、ガラス工事よりアルミサッシの工事が増えていくときだったのも私にとっては良かったのかもしれません。ガラス専門の仕事なら、今もやっていたかわかりません。
 結婚し子供も出来て、家族で遊びや旅行に行くことが一番楽しい時でした。今もですが、その後お世話になった会社を退職して、自分で始めたときは、とにかく必死で休みもほとんど取らずに仕事をしていましたが。今も仕事優先ですが、もう60歳になると思うと、もう少しストレス発散をしなければいけないと思うようになり、30代の頃少しやっていたゴルフをまた1年前から始めましたが、若い頃と違い、かなり力も衰えてきたと実感する今です。ふだん車移動ばかりで、電車も年に2度程度しか使わず、歩くことがかなり少ない今、健康も考え、歩くことを心がけていこうと思い、それにはゴルフもいいかと思っています。
 娘も結婚して、まだ子供はいませんが、まだまだ楽しみや、楽しい事をもとめて元気でいなくては。60歳からの体を考え、まだまだ仕事もしていかなければなりませんので、頑張っていきたいと思います。

 

ぶらり品川 番外編

荏原神社から府中大國魂神社への小さな旅

教宣部長 野村 和好

 狛江市・調布市・府中市などを走行中よく「品川街道」「品川道」「旧品川みち」の道標が目に入ります。前々から興味があり、少し調べてみました。一般的に日本で歴史上の中世と呼ばれる鎌倉・南北朝・室町・戦国時代にかけて、大井・品川は、品川湊として栄えていました。伊勢などからの船の来航、西国と東国を結ぶ、重要な港であり、この「品川道」を使って国府である府中に向かう人も多くいたであろうし、府中の商工業の製品をこの道を使って品川の港に運んだと考えられます。反対に重い荷物は品川の港から多摩川で内陸に運ばれたと思われます。また、筏乗り達が多摩の材木を筏にして多摩川の上流から河口まで運び、この「品川道」を帰りに利用したことから「いかだ道」とも呼ばれていました。なお、品川の名は現在の目黒川の事であり、その頃は物品を運ぶ川だった事から品川となった説もあります。
 その国府の中心であった、武蔵野国の総本社、大國魂神社(大国様)と品川の荏原神社(恵比寿様)で関係があるのではないかと思われますが、過去には両地域が流通の要であった事は確かであります。
 この荏原神社、京都の貴船神社から勧請を頂き、創建された社であります。毎年5月5日に行われる大國魂神社の祭礼は「くらやみ祭り」と呼ばれ、4月30日に行われる「お浜降り」行事から始まります。それは荏原神社わきの目黒川から船で、天王洲、お台場あたりで禊(ミソギ)したあと、汐水を汲み上げ府中に持ちかえり、大祭中禊をするというものです。もちろん持ち帰るに際して「品川道」を道中渡御して大國魂神社に運びます(汐盛講)。私の若い頃、そのくらやみ祭りで「荏原神社様ご到着」との声が掛かったことを覚えています。
 この祭り、本社を含めて8基の大神輿が練り歩く勇壮なもので、電気がない時代は幻想的な趣であったことを想像させるすばらしい祭りです。三之宮はさいたま市大宮区の氷川神社、四之宮は秩父市の秩父神社など近隣の錚々たる神々が集うものであります。これらの神輿のほとんどが、桐ケ谷氷川神社や目黒の碑文谷八幡神社の本社神輿と同じ後藤直光の作ということで興味が一段とわきます。

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